DDになりたい。

2007~嵐、2014~エイト、2016~えびを追っかけている社会人が、ネットをうろうろしているうちにDDになった方がオタク楽しそう!?と気づく。

さみしいよ田口くん

DDになりたいって言いながら、KAT-TUNの話題ばかりなのは時期的に仕方ない!

おジャンプちゃんのジャンピングカーニバル買って見た話もいずれ。

さて、

すごく手前味噌な話になりますが、私は趣味で二次創作オタクをしております。小説書きです。
活動はネットのみ、はまるジャンルはその時々で違うのですが、もうこのジャンルでは書けないな、となったとき、うやむやにするのが嫌なので活動を辞めます、ときっぱり宣言してから辞めます。

するとありがたいことに一定数「辞めないでほしい」というメッセージ頂くんです。
私の小説がどれだけ好きか、楽しみにしていたかを切々と綴ってくださる方もいます。

嬉しい反面、しかし何故か私にはその言葉が「ほんとう」として届かないんです。

なんででしょうね。一つは自分の書くものなんて大したことないっすよと思う自己評価の低さも一因な気もしますが、それだけじゃないような。

私も逆の立場だったら、好きな創作作家さんに本心からの本心で、あなたの作品がどれだけ日常の支えになっているか訴えるタイプなのに、受けとる側となると切実になれない。

辞めるの辞めよう、とまではならないんです。

例えば「辞めないでほしい」の声が「ほんとう」として届けば、手越プロの「NEWSを辞めようと思ったことはあるけれど、ファンの願いを聞いたら辞められない」という少プレ発言に繋がるような事態もあったかもしれない。

私の砂粒みたいな創作活動から何千何万の人を虜にしてきたアイドル田口くんを重ねるのはおこがましいけど、

ファンがどれだけ貴方を好きだと叫ぼうが、
青春をかけてきた、人生を救われた、命を助けてもらったと重めの回顧談をしようが、
アイドル田口くんの未来をこんなにも願っていると泣き叫ぼうが、

ファンよりも届くはずのメンバーの声さえ、田口くんには「ほんとう」として伝わっていないのかもなーとぼんやり思いました。

それでもファンは最後の最後まで、辞めないでほしいと叫び続けるんでしょう。


あーさみしい。さみしいね。


置いていかれる悲しみ、
引き留められない虚しさ、
事態をただ受け入れる選択肢しかない未来への絶望。

寂しいのはいつだって残される者の方が大きくて、それを知っているのに(田口くんならなおさら知ってるでしょ)生きていると去っていく側になるときもあるね。

そうだよ分かってる。どっちかだけの立場に甘んじていられる人はいない。
私でさえ残されている立場しか知らないような顔をしながら、置き去りにしてきたものだって沢山あるんだ。
田口くんの場合、今回は去る者側になって、対象がKAT-TUNだったというだけ。
田口くんまた、残される立場になるときもあるよね。


だけど君が決別しようとしているものは大きいよ。

さみしいよ田口くん。


P.S →KAT-TUN楽曲大賞の結果発表楽しい~!!!企画者様、全力でありがとうございます!ド新規のKAT-TUNガイドにもなってます!!!!!