DDになりたい。

2007~嵐、2014~エイト、2016~えびを追っかけている社会人が、ネットをうろうろしているうちにDDになった方がオタク楽しそう!?と気づく。

こじらせ女は死ぬしかないのか

雨宮まみさんの訃報を今日のお昼に知った。なんてこった。世間では前日に発表されていたのか。それでも記事のタイトルを読んだ時は誰かが、悪意を持った冗談で書いているのかと思ったよ。

 

よく指摘もされるのだが、私は恐ろしく自己評価の低い人間である。御多分に漏れずこじらせ女子特有の「こんな自分を好いてくれる男なんてきっとろくでもない男だ」という思考回路の持ち主だ。旦那どころか彼氏もいない。(女友達は割といる)

 

基本的に他人を信用できない。自分のことは他人に任せられない。だって他人は私をいつ裏切るか分からないから。そんな思考回路を持つ自分も分かりすぎるほどわかっている。だから自分にとって結婚は縁遠いものだし、表では普通に(独身女は既婚者をうらやむことこそが「ふつう」なのでね)「いいな~結婚したい~」とぼやく素振りをみせながらも、本心ではそうも思えなくて、既婚者よりずっと「一人で生きていける力(主に経済力のこと)を持った女」)のほうを羨ましく思っている。

 

生憎「一人で生きていける力を持った女」にもなれていない自分にとって(その現実が私の自己評価をますます低くさせている)、雨宮さんはただただ輝いている憧れの女性でした。

 

雨宮さんは「生きづらさ」を感じる女性の多方面の悩みに寄り添う形で沢山文章を書かれていて、立派なこじらせ女な私ももちろん彼女の本は読んだし、ああ、分かってくれているなあこの人は…と泣きそうになったこともある。

雨宮さんは多くの女性から「救われた」という感想をもらっただろう。私も雨宮さんの言葉を読むと自然と救われた、と言いたくなるから。

 

その方がお亡くなりになった。

 

悲しい。

 

悲しいという感情以外に、「こじらせ女は最終的には死ぬしかないの!?」と、結局、自分のことが心配だから以外の何物でもない自己中心的なヒステリックな叫びをあげそうで落ち込んでしまった。

 

「生きづらさ」と戦ってきた雨宮さんに、みんな自分のことで精いっぱいなのに「生きづらさ」を感じている他人の苦悩まで乗せてはいけない。

 

雨宮さんは多くのこじらせ女から「救世主」扱いされることが苦しかったってことはなかったかな。

 

「死なないで欲しかった」という気持ちは何処からきてるのか。

 

ただただ彼女の死を悼むことだけをお願いだからしてくれよ私。